CHEER COLUMN-応援コラム-
「横浜の歴史は、水の歴史」
『横浜水道記念館』に行ってきました!!
場所は、横浜市保土ヶ谷区。
Jリーグ横浜FCが練習をしているグランドのすぐ近くです。
ここでは、今ではあたりまえとなっている水道水の誕生までの歴史と、
それに取り組んだ先人たちの試行錯誤について紹介しています。
入口に入ると、
横浜市水道局のマスコットキャラクター『はまピョン』がお出迎え☆
横浜は海を埋め立てて街を作ったため、
当時は井戸を掘っても、海水が入り込んで塩からくて、とても飲み水にはならなかったそうです。
そこでイギリスの『ヘンリー・スペンサー・パーマー』さんという方の協力を得て、
明治20年に『近代水道』の仕組みが出来上がるのですが、、
そこに至るまでが苦労と試行錯誤の連続でした。
昔の『ひしゃく』
水道水が無い当時は、ひしゃく一杯の水がとても貴重なものだったそうです。
しかし、井戸や川から汲んだ水は清潔ではないため、伝染病などが絶えず、安心して飲める水ではありませんでした。
『木製の水道管』
地下から水をくみ上げるために作られましたが、
途中で水が漏れたり、海水が入り込んだりして、残念ながら失敗に終わりました。
そして作られたのが、『鉄製の水道管』
イギリスの『ヘンリー・スペンサー・パーマー』さんの協力を得ながら、
当時、ヨーロッパやアメリカでのやり方を参考にして作られました。
これが、近代水道誕生の足がかりになりました。
ちなみに、近代水道とは、
●地下水を「ろ過」装置を通すことによって、安心して飲める水を作る。
●鉄管を使用することによって、圧力にも耐え、高低差のある場所へ水を届けることができる。
●水道に蛇口を付けることによって、いつでも必要な量だけ、水を取ることができる。
ということだそうです。
横浜は港町ということもありますが、世界の協力に感謝です。
その他、水道に関する色々なものが展示されていました。
『水道を作るための計器や道具』
昔の『ポンプ』
『消火栓』
水道水ができたことによって、消防も始まりました。
日本で最初の「ろ過」装置
明治時代の台所の風景
そして現代では、
このように、地中に配管が通り、大きな貯水タンクまであります。
とてつもなく大変な労力ですね。
こちらは、
まだ開港前の『横浜村』当時の地図と、現在の『横浜市』の地図。
海が埋め立てられて、横浜市が大きくなっているのが分かります。
横浜水道記念館『展望室』からの風景☆
すぐ隣にある『西谷浄水場』が見えました。
水道に限らずですが、今ではあたりまえにあるものでも、
必ず誰かが最初に考えたり作ったりした人たちがいますよね。
そしてそれを維持している人たちも。
そういうことに感謝を忘れないでいたいですね。
秋もそろそろ終わりですかね。
チアリーダーの皆さん、
寒い冬も、熱い気持ちでチアスクールのレッスンやイベント出演に頑張っていきましょう!