CHEER COLUMN-応援コラム-
不可能を可能に!奇跡の船@南極観測船『宗谷』
2015.05.21
先日、お台場に行ってきました。
仕事を終え、少し足を伸ばして『船の科学館』へ。
科学館は建物の老朽化のため休館となっていますが、
お目当ては、海上に展示してある南極観測船『宗谷』。
最近、32年前に公開された映画『南極物語』をDVDで見て、
南極観測隊の苦難と、そり犬(タロジロ)の悲劇に号泣しました。
そこに登場するのが、『宗谷』という南極観測船!
興味が沸くのは、映画の登場ということでは無く、
この船のすごさなのです。
この『宗谷』が南極観測船として出港した時すでに建造18年の
老朽船だったそうです。
通常、船の寿命は20年ほどと言われていて、引退間近の船を
南極という最も危険な海域への航海、ほぼ不可能に近い状況
だったそうです。
今では考えられないかもしれませんが、国に費やす費用が
無かった時代背景もみえます。
『宗谷』がここまでくるには壮絶な人生?があるのです!
最初は、民間船会社の貨物船「地領丸」として、
船歴が始まります。
次は日本海軍の特務艦として太平洋戦争時代を生き抜きます。
敵艦に狙われる怖れのある南方の前線基地へと、食料や物資を
運ぶ危険な任務を遂行しました。
その後、働き過ぎた『宗谷』は、また改造され、
海上保安庁の灯台補給船となり、全国の灯台を巡り、
物資を届けて回ったそうです。
そして、昭和30年に「国際地球観測年」での南極計画に参加す
ることになった日本は南極観測船として『宗谷』を選出するのです!
老朽化し、パワーもとても小さい砕氷鑑。
同年代のアメリカの船と比較すると、アメリカは13,000馬力、
宗谷は4.800馬力だったそうです。
しかし、南極までたどり着き、不可能を可能にしました。
これが『宗谷』が「奇跡の船」と呼ばれた所以なのです。
実際に船を見て、想像よりもとても小さく、この歴史を知らなければ、
通り過ぎてしまうくらいです。
この『宗谷』に私は最近沢山の事を学んでいます。
条件や状況に打ち勝ち、結果をしっかり出す。
不可能と言われても可能にしてしまうその強さを教わった気持ちです。
沢山の人の努力が成果に繋がっていることも忘れてはいけません。
チアリーダーの皆さんも、どんな状況でも不可能を可能にする
ことが出来ると信じてがんばる気持ちを大切にしてくださいね。